次回キリ番リクエスト30000!! 更新報告:12月15日 朧月の契り 第2章14 日記 を更新。
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■■■朧月の契り 第2章 10
2010/11/29 Mon朧月の契り
 眼を開けば、そこには鏡合わせのように。
 恐怖は無かった。/ずっと恐かったのだ。
 後悔は無かった。/本当にこれで良かったのか問うた。
 ただ進む事を決めた。/この決定が正しいのか問うた。
 それがこの身の全て。/そう決めさせたのは…。
 この道に意味がないとしても。/無意味になんてさせないから。
 そう。/そうだ。
 その為に私は全てを捧げた。/この為に私に全てを託した。
 ならば、この身と魂、意志、宿命、いいや、私というそのもの全てがただ一つ、私が信じたものの為に…。





 * * *





 ――忘れるな。その身がどうしてあるのかを忘れるな。
 故に、走れ。お前はただ走り続ける。走り続けなければならないのだ。裏切った者の為に。置き去りにした者の為に。安寧に足を止める事など許されない。そう、そうだ、お前は走れ。
 そう、走るのだ。走る。走る。走る。走る走る走る走る走る走る走る走る―――!!
 息が上がっても決して足を止めるな。そうだ、ほら、後ろを向いてはいけない。足を止めてはいけない。お前は走り続けなければならないのだから。だから、ほら、そうしていると。
 燃えさかる焔。炎に飲み込まれて消える人。炎のごうごうと燃える音が聞こえる。ぱちぱちと火によってものが崩れ落ちる音がする。助けて、助けて、助けて、と声がする。それを、全てを、眼を背け、お前は歩いたのだから歩き続ける義務がある。ほら、だから、いけ。いくのだ。
 そう、どこかで、いいや、どこかなんてわかっている。ただ、響いている。ただ、ずっと、ずっと、心の奥底で、きりきりと、何かを締め上げるような音を立てて―――。





 * * *





 12月24日。
 それは俗にクリスマス・イヴと呼ばれる聖なる夜。休日の中でも特に特別なこの日は、その特別な日に乗じて家族や恋人、友人達と時間を楽しむ事が一般的であると言えよう。その一般的な例にも漏れず、衛宮邸でもパーティが開かれている訳で。
 しかし、想像してみても欲しい。そう、あの衛宮邸には猛獣と恐れられている彼女がいるという事を念頭において、だ。あの彼女がいる限り、このパーティが穏便に終わりを迎えるという事があるだろうか。否、断じてない。
 そう、本来ならば彼女の驚異を知る彼こそがその対策を練るべきであったのだろう。だがしかして、その対策を施さなかったのは彼が鍛錬によって疲労していた事による油断だったのか、それともあの猛獣にはそれすらも無意味なのか。少なくとも彼とて何もしていなかった訳ではない。


(…どうしろってさ、この状況…)


 だが、目の前の惨状はこうして生み出されてしまった訳だ。荒れに荒れたテーブルの上のつまみやお菓子、料理の乗せていた皿等々…。お菓子を開けた為に開いたゴミだって出ている訳で少し片付けるのに手が必要な程だ。
 更に、問題はそれだけではない…。


「…きゅー」


 グラスを片手に眼を回しているカナデ。…普段の余裕ある姿はどこに消え失せたのか、まさか酒の一杯でこうなるとは流石に予想はしていなかった、と士郎は思わず額を抑えた。次に視線を移すと、そこには頭を押さえて唸るセラがいる。


「…う、あ、頭が…」
「セラ、大丈夫?」


 そんなセラをいつもと変わらない様子で肩を叩きながら心配するリズの姿がある。…というか、彼女だけが唯一、虎に付き合って飲んでいた筈なのだが、と士郎は思わずリズを凝視する。
 あのセラでさえ虎の勢いにやられてしまったというのに…なんだ、彼女もまた猛獣の一種なのだろうか、と嫌な想像を振り切るように士郎は視線をリズから外すのと同時に首を振った。


「…うー」
「イリヤ、そんな物欲しそうな眼をしても駄目だ」


 そして残った酒に手をつけようとしているイリヤの肩に手を置いて制止させる。虎こと、藤村大河は士郎の「衛宮邸出入り禁止」を対価とした脅迫、もとい説得に応じておとなしくなった。流石に騒ぎすぎたという自覚があったのか、おとなしく帰ったのは先程の話。
 それに夜も遅いから、と大河と共に帰った桜。最期までこの荒れた居間の惨状を心配していたが、それでも遅くなって何かあっては逆に困る、と大河と共に帰って貰った。さて、そんな訳で残ったのは士郎とイリヤ、セラとリズ、カナデとなる訳だが…。


「…頼りになるのはリズぐらいか、リズ。悪いけど、セラさんとカナデさんを寝室まで運んで貰って良いか?」
「ん、わかった」


 士郎の頼みにリズは小さく頷くと、まずは意識のあるセラの肩を支えてセラを寝室まで連れて行く。その背を見送った後、士郎は何気なしに縁側へと眼を向けた。…決して居間の惨状を目に入れたくなかった訳ではない。
 不意に、外へと足を向ける。縁側まで出てきて視線を上げた。空は曇天。月の光も届きはしない。星の瞬きも見えない。けれどクリスマスという聖夜が彩る夜中のイルミネーションなどがちらほらと見える。誰もが思い思いに今日という日を楽しんでいるのだろうな、と士郎は思う。


(…楽しむ、か。…俺も、今日は楽しかったんだろうか)


 正直、大河を止める為に終始していたとはいえ、完全に暴れるまでは士郎だって宴に興じていたのだ。料理を作って用意している時だって楽しかった。自分の作った料理をおいしそうに食べてくれるのだって嬉しかった。
 皆で騒ぐ。何かした訳でもない、ただ、いつもの食事がいつもよりちょっと騒がしくなったような、特に遊びを用意していた訳でもない。ただ、ちょっと特別なだっただけで大きく変わった事など無かった。


「…日常ってのは、楽しいものなんだな」


 当たり前のように、誰かが笑っている。当たり前のように、誰かが楽しんでいる。
 そう、当たり前だ。誰かが救いを望む訳もなく、ただ今ある平和を生きている。それが愛おしく感じる。それが一度失ったものなのだからなのか、その思いはきっと常人よりも強いと士郎は自覚した。


「…そうね。変わらないけれど、でも些細な所が違う。けれど本質は変わらない。それが日常というものなのかもね」


 不意に隣にイリヤが並んで、士郎を見上げるように視線を向けながら言った。イリヤ、と名を呼んで視線を下ろして見れば、イリヤは小さく笑みを浮かべて縁側へと座り、その隣に士郎に座るように促した。
 外は肌寒いが、だからといって苦痛な程ではない。しかしそれでも寒いものは寒いので体が震える。その震えを察したのか、イリヤが士郎に頭を預けてきた。


「イ、イリヤ」
「良いじゃない。別に…寒いんだし」
「なら、中に入れば良いじゃないか」
「…もぅ、シロウはムードもわかってないんだから」


 イリヤが頬を膨らませてシロウに文句を言う。だがそれでも体を離さない。一方で、士郎もまた拒む事はない。戸惑いや驚きはあるが、イリヤが風邪を引くのは駄目だし、ならば中に入れば良い、という問題でもないという事はわかっている。
 この夜だからこそ、この夜にだからこそ話せる事があるからこうしてここにいるのだ。時と場合、それぐらい、鈍い士郎にだって読もうと思えば読める。…本人はそう思っている。


「…ぁ、雪…」
「ん…?」


 不意に空を見上げれば、曇天の雲より白い雪が舞い降りてきた。はらり、はらりと。僅かな風に揺られるように降りてくる雪の欠片に手を伸ばしてみる。それはすぐに消えてしまう幻のように何も残らない。
 その雪にイリヤが縁側から立って手を伸ばした。そのまま縁側に置いてあった外履きを履いて庭へと出た。くるり、くるり、まるでステップを踏むようにして降り注ぐ雪の中をイリヤは踊るように。
 その光景に、思わず眼を奪われた。雪の白さが増したような錯覚。それは雪に愛されたようにイリヤを幻想的に彩る。その白い光景に士郎はただ眼を奪われる。降り注ぐ雪の量は増していく。全てを白く染めていくように。
 その光景を、美しい、と思った。イリヤには雪が似合う、と思ってしまうまでに。手を伸ばせば幻のように目の前の彼女すらも消えてしまうような気がして、声が出ない。ただただ見惚れていて。


「…ねぇ? シロウ。シロウは今日、楽しかった?」


 雪と戯れていたイリヤが、足を止めて士郎に問いかけを投げかけた。それに、士郎は返答を思わず滞らせてしまった。僅かに詰まった間を取り戻すように、士郎は言葉を紡ぐ。


「…あぁ、楽しかったんだと思う」
「…断言は、しないんだ」
「…わからない、んだな。これが」
「…シロウ」
「…わかってる。違う、わかったら、恐いのかもしれない」


 それは本能と言うべきもの。知ってはいけない。お前が知るべき事ではないと、どこか自分の奥底、深淵のように深い底から聞こえてくるような警告。その幸せをお前は知ってはいけない。覚えてはいけない。望んではいけない、と。
 ちらつく光景はあの地獄。全てが灼熱の焔へと飲み込まれ、人も、建物も、そこにあった思い出も、何もかも飲み込んでいった地獄の竈。為す術もなく、ただ心を壊して死んでいったあの日の事を。
 忘れてなどいない。忘れる事など出来ない。忘れるなどという事を許される立場ではない。あれは既に衛宮士郎の魂に刻まれているものなのだ、と。あの地獄より衛宮士郎は生まれた。――だからこそ、忘れるな、と。


「…あの日、俺が置き去りにしてきたものが、俺に囁くんだ。幸せになるなんて許されるのか、って。…それが、恐いんだ。俺はあの地獄を忘れる事で生きてきた。…違う、忘れる事で生きてきたんじゃない。思い出さないようにただ走ってきただけなんだ」


 だから、思い出す余裕も無かっただけ。命がけの鍛錬も、理想を追うがむしゃらの時間も、何もかもが士郎に忘れさせてくれた。思い出させないようにしてきてくれた。だからこそ衛宮士郎はここに立っていられる。
 けれど、イリヤ達が来て、その存在に触れて、傍にいてくれるのを感じた。改めて見直した事。新たに見つけた事。多くの発見がそこにあった。それは同時に自身を見つめ返す鏡ともなる。


「…足を止めれば、今でもあの地獄の中に俺はいるような気がするんだ。正義の味方の理想を追っていられればそれは忘れられた。…ただ、それが俺を救ってくれたものだったから。それだけを追っていれば、俺は…」
「でも、それだけじゃ駄目なのよ。シロウ」
「…わかってる。だから、忘れたいんじゃない。忘れるんじゃ駄目なんだ。そうだ…俺はそこから間違えたんだ。俺はなりたいんじゃない。ならなきゃいけないんだ。…あの日、失ってきた、失わせたものの為に、俺は俺自身が無意味でいることを許さないんだ。俺が、あの日の俺が、今の俺になるまでの俺が、それは本当な大事なものだったんだから、って言ってるんだ」


 そうだ。だって、そこには人としての全てがあったのだ。それを楽しい、と感じられるようになって、ようやく思い至ったのだ。…いいや、思い出したのだ。それが本当にとても大切だったものという事を。


「…俺は、俺が嫌いだったんだと思う。憎んでさえいるのかもしれない。何であの時、誰一人も救えなかったんだろう。…一人でも、救えてれば俺は救われたかもしれない。全部、全部、俺が護りたかったものは、留めていたかった日常はもう無いんだ……もう、無い、んだ…」


 言葉にすると、酷く、苦しい。胸に締め付けられるような痛みが走って呼吸が苦しくなって身を僅かに折る。
 あの地獄で衛宮士郎が衛宮士郎になる前の士郎は死んだ。そう、思っていた。違う。違うんだ。死んだのではない、壊れた心は未だここに残っていたのだ。ただ、その痛みがあまりにも大きすぎて、麻痺していたようにわからなかった。
 当たり前とは程遠い道を歩いてきた。目指してきたものは万人を救う正義の味方。まずその時点から破綻している。だけど、破綻しているからこそ、果てがないからこそ、追うのはとても簡単だった。際限がなければどこまでも求めて歩いていける。
 壊れたから、壊れた理想を抱いたって痛みなどない。…痛みなど、わからず、ただ、ただ歩いていける。
 だけど、もうそんな事は出来ない。思い出してしまったからこそ、衛宮士郎はただ無闇に理想を追う事も出来ない。破綻したものを追う事が本当に正しいのかと疑問を抱いた。だけど、それでも、足を止める事は出来ない。


「…シロウ」
「…色々と考えたんだ。俺は切嗣の理想が美しいと思った。もしも、あんな風に笑えたら幸せなんだろう、ってずっと思ってきた。だけど、わかってきたんだ。…爺さんが救われたのは、俺が唯一生き残ったからだ。本当は何も救えなかった手が唯一、救ったもの。それが俺だったんだ。それに憧れない訳がない。それは俺が願った夢そのものだったんだから。…正直に言うと、今でも、言葉にするのは難しい。だけど、朧気ながら、ようやく見えてきたんだ。それがまだ、なんなのかもよくわからないけど、答えはきっと遠くない。俺は切嗣の理想を、形にする。俺なりの形に。俺が望む形に。それが何なのか、まだ言えないけど」
「―――そう」


 不意に、その声はした。いつの間に眼を覚ましていたのか、カナデは俯くような態勢のまま声を出した。その、奇妙な違和感。酒に酔っているだけかと思った。が、何かが、違う。まるでボタンを掛け違えたような違和感。
 同じものを見ている筈なのに、何かがどこか違うような。その感覚に士郎は思わず戸惑う。そして戸惑っている間に、ゆっくりとカナデは息を吐き出して士郎を真っ直ぐに見つめた。


「士郎」


 君、とは、付けられなかった。それが彼女の中での「衛宮士郎」の何かが変わった、という事を示しているように感じて士郎は居住まいを正した。


「…士郎、君は何を望む?」


 問いが来た。虚実も、はぐらかす事も出来ない。今、ここに答えが欲しいと彼女は言っているのだ。そして、それは今、ここで答えなければならないものだ、と。士郎は理解をした。だからこそ、必死に考えを纏めていく。


「俺は、誰かの助けになりたい。困っている誰かの手助けになりたいと思っている。」
「じゃあ、何を助けたい?」
「…全てを」
「…全て」


 あぁ、と。まるで今のカナデは鏡だ。鏡に話しかけているように、自らの出した言葉は自らに返って来る。


「そうだ。全てだ。出来るなら、全てが救えれば良い」
「それは破綻している。全て、とは、何を以て全てとする? 全てとは相反する事象をも含めた全ても含めるなら、そう、それは、士郎が言うのは犠牲が無い世界だ。だけど、犠牲無くばこの世界は成り立たない」
「…そうだな。確かに俺の言うことは理想にしか過ぎないんだと思う。だけど目指す事が無意味だとは思わない」
「なら、その道をどうして選ぶ?」
「助けられたい、と思った。救われたい、と願った。あの地獄の中で俺だけが生き残ってしまった。その時に与えられた幸せは――何にも代え難い。そんな風に俺もなれれば、どれだけ良いかなんて夢を見るから」


 そうだ。あの地獄の中で救われた。その時、抱いていた悔しさも、空しさも、悲しみも、何もかもを通り越して見つけた自分の希望。救済の形。そう、彼が、切嗣があんなにも幸せそうに笑っていたから。


「――そうだ。それが、俺の幸せで、俺が俺である為に譲れない部分だからだ。衛宮士郎は正義の味方になると決めたんだ」
「…士郎、それは救われない人を願うのと同義だ」
「そうかもしれない。…それでも、俺は正義の味方になる」
「…どうして?」
「そうすれば―――俺も、切嗣になれるだろ? 俺に」


 そう、あの日、俺が救われたように。いつか、自分もあんな風に誰かの希望になれるなら。それは見捨て、醜く、心が死ぬ程の痛みを受けても生き残ったあの日の自分の望んだ自分に。誰かを救える自分に。


「勿論、あんな災厄なんて無い方が良い。それをあるなら止めたいと思う。…でも、そう思った時はもう遅い。わかってる、救いになりたい、という事は、救われない誰かが必ずどこかにいるという事だから。そんなものを目指す俺は破綻している。誰かの不幸の上でしか自分の幸せを築けない。世界がそういうものだから、なんて理由にはならない」


 そう。それは正しくて悪だ。あるから仕様がない、と。そんなのは理由にはならないのだ。自分の願いは、誰かが救われぬ場所まで墜ちていく事を願っているのと同義なのだから、と。
 だが―――それが、どうした、と。


「仕方ないとか、そんなの理由にはならないけど、でもあるんだ。あってしまうんだ。だから、行くんだ。無いなら無いで良い。その時は、それこそ幸せだ。俺にとって正義の味方はなるものじゃない。ならなきゃいけないものなんだ。これは俺が俺自身で背負った業だから」


 あの日、正義の味方になると決めたあの日。そもそもの決意の理由は切嗣があまりにも幸せそうだったのと、そして、あの日起きた悲劇を二度と繰り返させないと犠牲にした人達への報いとして。


「そうしないと、俺は俺を許せそうにない。…そう、俺が俺を許せない。死者は、確かにもういなくて、責める声も聞こえなければ何もないのかもしれない。けれど覚えているんだ。忘れられないんだ。だから、それは俺が忘れるな、って思ってるんだ。忘れちゃいけない、って。だから俺は忘れない為にも、自分で自分を許せるようになる為にも、あの日夢見た姿と重なるこの理想を譲る事は出来ない」


 そう、それはかつて衛宮士郎が切り捨て、こうして衛宮士郎が再び拾い上げたもの。それは、決して忘れてはいけないものだったのに、ここに来るまでにずっと投げ出していたもの。
 幸福を望む、という事。それは誰しもが心の底で持っているもの。衛宮士郎とて願わなかった訳ではない。ただそれを自分の為だけに望む事は士郎には出来なかった。そんなものを受け取る資格はない、と。
 けれどそれは間違いだ。あの災害、一人で生き延びてしまったのならば、それだけの意味が、生き残ってしまった為の贖罪に使われるべきなのか? 起こした訳でもない、ただ関わってしまったとという事だけで。
 既に死者はこの世より隔てられた存在だ。祈るのも良いだろう。償うのも良いだろう。けれど、生者として残ってしまった自分は彼らの為だけに生き続ける事は許されない。住む世界は、自分がいる世界は今目の前にある世界なのだから。


「この理想を追えば、いつか、自分を許せる日が来るかもしれない。…でも、わかってる。この理想は破綻してる。どこかで、何か、区切りをつけなきゃ際限なく壊れていくって。…そんなのは許されない。死者の為に、というのは聞こえが良い。でも、死者の所為にはしちゃいけない。俺がそうじゃなかったとしても…」


 ふと、士郎は視線をカナデから外す。そこにはイリヤの姿がある。その瞳は不安げに揺れている。そのイリヤに士郎は微笑みかけるように口元を上げて。


「…俺の為に、誰かが誰かを憎むのは許せないから。だから見直してみて、理想は理想として追う事は止めないけれど…今を、生きる事を捨てない。俺は、衛宮士郎には護るべき人がいるから」


 理想はあくまで理想とし、それを追い続ける事は諦めないけれど。だけど。それだけではいけない。今、こうして今を生きていられるのには理想と同じぐらいに譲れない大切な人達がいるから。
 理想は自身が自身である為に必要で、今の時間は自身が望む幸せで、どっちも欠けさせられない。それはどっちも中途半端にしかならないのかもしれないけれど、これが答えなのだ、と。


「俺は、誰かを助ける事を止めない。…けど、だからって俺自身もないがしろにしないから。だから、……もう、泣かないでくれ、カナデさん」
「…ぇ?」


 不意に、士郎に言われた言葉にカナデは呆気取られた。泣いている? 誰が? …もしかして、自分が? と、自らの頬に指を添えた。そして指先には確かに滴が付いていて。


「…ぁれ…? ゃだ…なに、これ…」


 ぐい、と袖で目元を拭うけども、涙は止まらない。あぁ、この答えを待っていた筈なのに。何故、こんなにも涙が出てくるのだろう。何で、こんなにも胸が痛むのだろう。士郎の答えは、理想に近い答えだったというのに。


「…うん。わかってた事だ。こうなる事を、望んでた。こうなるように、仕組んだ。……これで、良い。良いのに、なぁ…」
「…カナデさん?」
「…まち、がって……る、ちが…まちが…って…な…ぃ…」


 ぶつぶつ、と小さくカナデは何事かを呟く。その雰囲気が尋常じゃなく思えて士郎がカナデに駆け寄る。そして士郎がカナデの肩に手を置いた。心配そうにもう一度その名を呼ぶと、カナデはようやく顔を上げた。
 ぽたり、と。涙が落ちていく。呆けた、けれど、泣きたいような、だけど、笑っているような、そんな、ちぐはぐな表情で。それが今にも消えてしまいそうな先程の雪の一欠片にも似ている。


「…ぁ…れ…ごめん、へ、変だなぁ…こんな、嘘…やだ…止まらない…冗談でしょ…? …ちょ、ちょっと待って、すぐ…すぐ…泣きやむ、から…」


 両手で顔を覆うようにしてカナデは首を振る。その手の隙間から涙が止め止め無く落ちていく。そんなカナデの姿に士郎はただ困惑するしかない。そこに、不意に手が伸びた。白い指だ。それは、イリヤのもので。


「…良いの」
「…イリ、ヤ?」
「…裏切ってないわ。…裏切りかもしれないけど、彼こそがその裏切りを望んでいる筈。もしもそれに責められたとしても、私が護ってあげるから。それに…士郎も、わかってくれるわ」


 ぽんぽん、と。カナデの頭を優しく撫でる。慰めるようにイリヤはカナデの髪を梳きながらなで続ける。その度にカナデの体が震える。堪えきれなくなった嗚咽が僅かに口から漏れて。
 士郎には、何故、彼女がこんなにも不安定になったのかわからなかった。だけれど、それに自分が関わっているというのは確かな事。そうさせてしまったのは自分で、そこで、はた、と気づいた。
 彼女は誰の理想を受け継いだ。それは自分のものだ。正義の味方として生きた自分の理想を。…以前、彼女は言っていた。未来の自分は自分の理想に裏切られ、摩耗して絶望した、と。
 …ならば、その彼の理想を受け継ぎながらも、その理想の体現となるだろう士郎を否定し、俺という未来をねじ曲げた。それは、彼女自身の矛盾を孕む。彼を信じたその身で、彼の理想を、彼の過去を否定した。
 それが、どれだけの矛盾で、どれだけの彼女の基盤を揺るがすものなのかわからない。けれど、わかってしまった。それがどれだけ――。


「――っ、」


 あぁ、本当に度し難い。だから、もう一度、もう一度だけ。あの日の誓いをここにしよう。…それが誰から始まったのかわからない。俺なのか、切嗣なのか、それとも彼女なのか。だけど、誰であろうと関係ない。ここに誓わなければ。俺が、なると誓ったのならば。


「カナデさん、安心してくれ。切嗣の理想も、俺の理想も、貴方の理想も、全部ひっくるめて―――俺が、ちゃんと形にするから」


 継いで、継いで、継いで。そう、継いでいこう。我等、正義の味方を志した系譜。そこに個々による差異はあったのだとしても、この理想が願う事はただ一つ。出来れば、今いる世界が少しでも笑顔に包まれるようにと。
 それが箱庭のような狭い程度の範囲の世界だとしても、少なくとも、俺が笑っていられる為に。そして俺の前で出来れば多くの人が笑っていられるように。その涙を憎むのではなく、ただ無為に止めるのではなく…この胸に刻みつけよう。


「だから何も堪える事なんて無い。辛いなら吐き出してくれ。悲しいなら泣いてくれ。許せないなら叫んでくれ。…そうしないと、伝えられないんだから」


 微笑む事が出来ただろうか。よく、わからない。けれど、ようやく顔から手を離して顔をあげた彼女の顔が、くしゃり、と歪む。それから、しゃくりをあげるように唇を震わせて――。


「ァ…ァァア、―――ッ!!」


 今にも震え出しそうな体を押さえつけてカナデは泣いた。その姿が見ていられなくて、士郎が手を伸ばす。だが、その手がカナデに届くよりも早くカナデが士郎の胸に飛び込んだ。
 縋り付いていなければ、今にも崩れ落ちそうな彼女の体はいつもより小さく見えた。ただ子供のように泣きじゃくるその姿は見ていて痛ましい。そんな彼女を、ただ、士郎は落ち着かせるように背を叩きながら優しく抱き留めた。
 ……気のせいだろうか。鉄を打つ音が聞こえる。遠く、どこから、確かに、鉄を、剣を打つ音が聞こえる。かん、かん、かん、と。それはまるで…―――カナデから聞こえてくる気がしたのは、気のせいだ、と。士郎はただ、彼女の背を叩き続けた。





 * * *





 誰よりも、彼を信じ、彼を信奉する彼女にとって、彼の理想の否定とは何を意味するのか。そのために彼女は何を差し出し、それを裏切るということは彼女に何をもたらすのか。
 答えはまだ先に。ただ、今は鉄を打つ音だけが響く――。
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